3人のかんたんなプロフィール




加藤 シヅエ   KATO Sizue

1919年 新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村(現阿賀野市)生まれ

第2次世界大戦の苦難を乗り越え、戦後4人の子供を育てあげる。
子供から手が離れたら華道を習い、師範の免状を得る。
第1子の嫁である加代子が加藤家に嫁いできたのに合わせて手芸をするようになり、
共通の話題を作ってくれるようなやさしいおしゅうとめさんで、
加代子にとっても良き理解者である。
さらに趣味を広げるべくパッチワークや押し花を習いに行き積極的に作品を作る。
2004年に長年連れ添った夫と死別したが、ますます意気盛んである。

3歳の頃から現在に至るまで新潟市に住んでいる。

加代子の義母、始の祖母。


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加藤 加代子   KATO Kayoko

1948年 群馬県前橋市生まれ。

 小学生のときモノ作りに目覚め、それ以来、縫い物、編み物、人形作りなどを友達にしてきた。
 1972年に第一子(始)誕生後、アートフラワーを習い始め、そのアートフラワーも友達に加わった。

(コメント)
作っても時には形にならない事もあるけど、その指先を動かしてる過程が楽しくて、いつも何か少しずつ作っています。


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加藤 始   KATO Hajime

1972年  群馬県前橋市生まれ。加藤加代子の第一子。

 母親がいろいろモノ作りしているのに影響を受けて、コチャコチャいろいろ作り出す。

●1990年、高校3年時の学園祭で、校舎吹き抜けのホールに、仲間たちと「海」
をつくる。
●高校卒業後、「無限なもの」を作ることに興味を持ち、フリーターをしながら、その思いはいつか、オーストラリアの大地の上で船を作りたい、という夢になる。
●1995年、その夢をかなえようと、株式会社モスフードサービス主催の「‘95モス地球遊学生募集」に応募するが、落選。
●このころ親友から「アンデパンダン展」という展覧会形式があることを教えてもらう。
●2002年、第55回日本アンデパンダン展に、オーストラリアの大地の上で船を作りたい夢を表現した「自由」で出品する。
●2004年、第57回日本アンデパンダン展に「ぼくは、ここに、います。」を出品。
●2005年、第58回日本アンデパンダン展に「夢 〜布団の中で〜」を出品。
●2007年、第60回日本アンデパンダン展に「さよならを言うために」を出品。
●そして、夢は続く―――。いざフランスへ……!

(コメント)
 僕は美術大学も出てないし、ちゃんとした美術の勉強もしてません。
僕が作る作品はみんな、皆さんには小学校の図工のような稚拙さに見えるかもしれません。
 でもこれは全部、僕が作りたくて作りたくて作った、その形なのです。
「自分のつくりたいものをつくる」―――これをこれからも大切にしたいです。





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